もう3年・3年も経ってるのに

2011年3月11日。横浜市青葉区の職場で、震度5強の揺れに見舞われた。

東日本大震災の発生です。

あの時、まっすぐには歩けませんでした。
ポイントを通過して、揺れる列車の中を進行するような感じ。

30分ほどして、2度目の大きな地震

テレビのニュースでは、東北地方の被害の様子を伝えるとともに、津波の到達予測時刻を表示。


自宅に連絡を取るも、メールも電話も通じず。

交通機関が全て停まった為、夜勤者が出勤出来ずに、早番だったばっはが残業で対応。

結局、自分自身も帰宅出来ず、翌日も早番だった為、職場に泊まる事になりました。

帰宅難民の一人となった訳ですが、宿泊に適した施設だった事が幸いしたので、不便な思いはしていません。


不便はその後。

原子力非常事態宣言の発令により、計画停電の実施が発表されました。

それに並行して、首都圏の鉄道は、節電の為に軒並み運休。

早番の帰り、田園都市線が運休してるから、東名ハイウェイバスで帰る事もしばしば。


そして、ガソリンスタンドからガソリンが消え、スーパーやコンビニから商品が消えました。

ガソリンスタンドが、売り切れで閉店するなんて、それまで見た事なかったですよ。

後に、給油待ち渋滞で、バスが定時運行出来ない事態にもなり、燃料不足に備えて、そもそも運休の路線もありました。


嘆かわしかったのが、買い占め。

その最たるものが、乾電池。


“お求めは一世帯1パックでお願いします”


こんな表示、被災地の人が見たらどう思うでしょう?


でも、関東地方の人々の殆どは、被災地の苦難に比べれば!との思いで乗り切りつつ、微力ながら支援の手を差し伸べていました。


あれから3年も経過したんですね。

12日の未明に、突然携帯が鳴り出して、アラームのセットを間違えたのかと思ったら、長野県北部の緊急地震速報でした。

2ヶ月くらいは、緊急地震速報が頻繁にありましたね。

同時に2地域分発令されて、画面が埋まった事も。

その頃は、常に体が揺れてるような錯覚がありました。


さて、3年が経ちましたが、復興はどうか?言わずもがなで、とても残念ですが、今後に期待です。

そして、直接被災してはいなくても、経験した者として、決して他人事(ひとごと)と思わずに、共に歩むべきと考えます。


物産展等で、名産品を購入するのもいいけど、現地で美味を堪能するのもいいねぇ。


そして、外国からの支援には、感謝し切れません。

特に心を打たれたのが、台湾とアフガニスタンカンダハル

台湾は、チャリティー番組であっと言う間に数十億円を集めてくれました。

そしてカンダハル

決して裕福ではない地域ですが、“日本にとって大した事はないですが”と言いながらも5万ドルの義援金を送ってくれました。


さて、最後に当時のこんなニュースを引用しておきます。



世界が驚いた!震災後の日本の底力

4月11日

未曾有の被害をもたらした今回の震災。

しかしそれに直面する日本人の姿が「すばらしい!」と世界を驚かせています。

「被災地で毛布や食糧を奪い合う姿が見られない」
「暴動がまったく発生しない」
「停電で信号が消えた交差点では、どの車も道を譲り合っている」
「避難場所から人々が引き上げたあと、ゴミが1つも落ちていなかった」など。

特に、非常時でも周囲への配慮やマナーを忘れない姿に感動の声が集まっています。

また同じように世界が驚いたのが、日本の技術力と勤勉さ。

例えば高速道路では、常磐自動車道の那珂インターチェンジ付近が地震によって大きく崩壊したのですが、NEXCO東日本が修復を始めると、わずか6日で元通りに復旧。その様子をイギリスのメディアが大々的にとりあげ、日本の技術力を賞賛しています。

これに対してネット上でも
「うちの国じゃ道路の修理って何年もかかるぞ!」
「日本人は信じられないほどの勤勉さだ」といった驚きのコメントが続出。

他にもさまざまな事例が紹介されると、世界中から
「この大震災から復興できるのは日本人しかいない!」
「日本人なら立ち直れると信じている」といった声が続々と上がっています。

いまこそ世界中に日本の底力を見せるとき。
もっともっと、世界を驚かせてやりましょう!

テレビ朝日