25年

その日、私は富士の麓にいた……

1985年8月12日。
11歳だったばっは、少年冒険学校と言う合宿に参加していて、静岡県富士宮市にいた。

その日の夕方、羽田から大阪へ向かっていた1機の旅客機が、この辺りから、群馬県方面へ迷走飛行を始めていた。

ばっはが“それ”を知ったのは、6日後、帰宅する電車の中で、乗客が見ていた新聞だった。


って事で、日本航空機の墜落事故から、25年が経ったんですが、後に“公開”された、ボイスレコーダーの音声は、ビデオテープに録音されたものだったようです。

あのやりとりを初めて聴いた時、ばっはは涙が流れました。

操縦出来なくなった機体を、最後まで持ち直そうと必死に頑張っていた、高濱機長ら3名を思うと、これが公開されるまでの間、酷い目に遭っていた遺族の悲しみはいかほどだったことか……


しかし、あのボイスレコーダーの音声を、外部へ提供した人は、この事故調査に関して、いろんな意味で、国民の意識を変えた事でしょう。

それまでの対応に満足出来なかったからの行動でしょう。

因みに、警察で救助活動に参加した人の話を聞きましたが、墜落現場の惨状は、とてもここに書けるもんじゃありません……


空の旅を快適に、そして安全に。ただ願う。